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2006年 07月 17日
アイタペは今でこそ穏やかで平和な町だが、実は旧日本軍の「最後の激戦地」でもある。
大東亜共栄圏構想に基づき日本軍がニューギニア島に侵攻したのは1942年。当初はある程度の戦果を挙げたが、徐々に戦況は悪化、武器・弾薬・食糧の補給も困難となり、東部ニューギニアだけでも14万もの日本兵が戦死または病死した。残った数万人の日本軍が最後の総力をあげて米軍・オーストラリア軍と戦った地が、ここアイタペだ。この地で生き残った約1万5000人の兵には、その後「全員玉砕命令」が出される。 ここにも、「日本の影」があった。ミクロネシアとは違う形の、悲惨極まりない影。14万人が死んだって、さらっと書けるようなことではないし、今のアイタペがのどかで平和であればあるほど、その史実とのギャップに胸が痛む。(写真はアイタペの丘にある、日本軍捕虜収容所跡。) *** タカシとは、ここアイタペでお別れ。首都からゴロカ・ウェワク・アイタペまで、本当に本当にお世話になりました。PNGに来れたのはタカシのおかげ。PNGをこんなに楽しめたのもタカシのおかげ。ありがとう。今度ヤップから救援物資送るよ。さんきゅうとぅるー。
by kenji-yap
| 2006-07-17 22:54
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