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2007年 03月 17日
きのう昼に首都ポンペイに着き、そのまま外務省・日本国大使館を表敬訪問。その後、同期隊員のKちゃん(ポンペイの小学校で音楽を教えている)とコンサートの練習。
コンサート!そう。1月にポンペイで行った小さなピアノコンサートが好評で、もう一度行うことになったのだ。前回は友人の家で、お客さんも20人くらいだったけれど、今回はスケールアップして、ポンペイ唯一のコンサートホール(実は教会)を借り、チケットにプログラムに横断幕にステージ衣装にと、かなり気合の入ったものになっている。どんなコンサートになるのか(というか果たしてどのくらい人が集まるのか)不安半分、楽しみ半分。 衣装(アロハシャツ)は、事前にKちゃんがポンペイの仕立て屋さん(フィリピン人経営)に頼んでくれていたもので、店のおばちゃんが「ケンジなら、以前うちでシャツを作ったことがあるから、サイズは知ってるわ」と言っていたそうだ。 ところが今日シャツを取りに行ってみると、どう見ても大きい。羽織ってみせて店のおばちゃんに「これ、大きいよ」と言うと、「あなた、このまえ来たときよりも痩せたでしょ!絶対そうよ!」と言い放った。おばちゃん・・・。 結局すぐに仕立て直してくれることになり、一件落着。あとは肝心の「ピアノの練習」だ。 ところで、このブログとHPの話を少し。 2005年2月にこのHPとブログを立ち上げて以来、毎日多くの人がここを訪れてくれた。ブログの書き込みやメールが、どれだけ日々の支えになったか知れない。 また、ここを見てヤップや協力隊に興味を持ってくれた人からメールをもらうこともあり、インターネットの影響力の大きさを感じることも多かった。 ただ、僕がこのブログとHPを作った本来の目的は、僕の友人・家族・同僚・教え子など、日本でお世話になった人たちに、僕のヤップでの毎日を知ってほしいということ。それは、僕が帰国した時点でこのブログとHPはその役割を終えるということを意味する。 「帰国後もぜひ続けてほしい」という有難いメールをもらうこともあるんだけど、この本来の目的に立ち戻って考えたとき、やはり帰国後は続けるべきではないと考えている。 そんなわけで、ヤップや協力隊に関連して、帰国後に感じたことなどを少し書いたりすることはあり得るけれど、それ以上の更新はしないつもりでいる。ただ自分がふと見たくなったりした時のために、閉鎖はしないでおこうと思う(笑)。 ということで、残りわずかの期間ですが、よろしくお願いします。 #
by kenji-yap
| 2007-03-17 21:50
2007年 03月 16日
朝7時50分、いつも通り自転車で学校に向かう。見慣れたこのヤシの木も、この坂も、この池も、今日で最後か…と思いながら自転車をこぐ。
学校に着くと、校長が「ケンジ、知ってるか?今晩の飛行機、キャンセルになったらしいぞ!」と言ったあとニヤッと笑う。僕も「知ってるよ。僕が昨日カヌーでグアムに行って飛行機を壊してきたからね~」と笑う。 教室のホワイトボードに「みんな、ありがとう!またあいましょう!」と書いて最後の授業に臨んだ。 今日は新しい内容には入らず、復習をしたり歌を歌ったり掃除をしたり、みんなへのプレゼントとして、メッセージ入りの集合写真を渡したりした。みんな自分の写真うつりに大騒ぎ。写真屋もなく、プリンタを持っている人もほとんどいないこの島で、写真はとても貴重で、いいプレゼントになる。 僕は生徒たちに、こんなことを話した。 みんなは僕にいろんなことを教えてくれた。みんなも僕や日本語の授業から、何かを学んでくれてたらいいなと思う。明日からは新しい先生が来るけれど、先生の言うことをよく聞くように。今までみたいに遅刻しまくってちゃダメだよ! ヤップはとても小さい島だけど、この小さな島で、世界のいろんな国の、いろんな人々の、いろんな考え方を知ることは、すごく大切なことだと思う。僕はこのクラスで、日本語だけじゃなくて、日本の習慣や日本人のものの考えかたも教えたつもり。みんなにはこれからも、いろんな国のことを勉強して、視野を広げてほしい。もちろん、自分たちの島(ヤップ)や自分たちの国(ミクロネシア)のことももっと知ってほしい。 そしていつか、絶対に日本においで!日本でみんなと会うのを楽しみにしてるからね。 生徒は僕の話をうなずきながら聞いてくれた。今日はとってもいい子な彼ら。 休み時間には、たくさんの生徒たちが教室に来て、ヌーヌーや手紙をくれた。自分で彫ったという「ミニ石貨」をくれた子や、「これすごく甘いよ!」とココナッツをくれた子も。 放課後、誰もいなくなった教室で、最後の掃除を済ませて、自分の名前の入った掲示物を外す。僕は教室の入口に「ようこそ日本語クラスへ! 2005年7月~2007年3月 けんじ」と書いていた。これを書いたときには、2007年3月なんて遠い未来のように感じたのになぁ…と思いながら、その紙を剥がした。 O先生に明日以降の授業の引き継ぎをしたあと、カヌー。空の青と海の青に囲まれてパドルを握るこの手の感覚、ずっと忘れないでいようと思った。最後に、みんなで記念撮影。 夜はひたすら荷作りと部屋の掃除。おかしいなぁ、自分の予定では最後の夜は余裕たっぷりにビールなんて飲みながら過ごすはずだったんだけど。やっぱり授業もカヌーも行ったのは無謀だったかなぁ…と思いつつ、いやいや、それでこそ最後の一日だ、と思い直す。 片付けをしながら、今日生徒からもらった手紙の一通を開けてみる。これをくれたのは、朝一番のクラスの生徒で、2ヶ月経っても「おはようございます」さえまともに覚えられなかった、とんでもない記憶力の持ち主。テストも常に10点台をさまよっていた子。 「ケンジ、僕の先生になってくれてありがとう。明日の朝、もうケンジは教室にいないんだなぁと思うと、本当に寂しいよ。」 飛行機は午前3時15分発。1時に空港に向かう。 深夜にもかかわらず、隊員仲間やお世話になった人たちが見送りに来てくれた。その中に、数人の生徒の姿もあって驚いた。しかもその顔ぶれは、殆どが遅刻魔におしゃべりにいたずらっ子(表現がどうも古い…)と、僕がいつも手を焼いていた子どもたち。ナントカな子ほどかわいい、とはこのことだなぁと思った。「よく来てくれたねぇ!」と言うと、ニヤニヤと照れ笑い。明日も学校があるのに…と思うとただただ有難くて、嬉しかった。 みんなにもう一度お礼を言って、笑顔で別れた。 飛行機は定刻にヤップを離陸した。窓から下を見ても、真っ暗で島の形は分からない。オレンジの灯がポツリポツリと見えて、それがどんどん小さくなっていく。 飛行機の中で、僕は何だか複雑な気持ちだった。 やるべきことは全部やったかな?やった気もするし、まだまだやり残したことがある気もする。 悔いのない2年間だったかな?ないような、あるような。 生徒たちに何かを伝えられたかな?たぶん大丈夫。でも…どうだろう。 ヤップを離れる時って、もっとサッパリした気持ちになるものだと思っていた。よし日本に帰るぞ!みたいな。 全然違った。 その時、さっき部屋で読んだ手紙が、不意に頭の中に響いた。 「明日の朝、もうケンジは教室にいないんだなぁと思うと、本当に寂しいよ」 初めて、少しだけ泣いた。 学校でも、空港でも泣かなかったのに、こんなところで涙が出てくるなんて意外だった。 良かった、一人で。 ヤップを離れたことが、未だに信じられない。まだ明日もあの道を通って、学校に行きそうな気がする。この日が来ることは初めから分かっていたのに、実感が伴わない。 何とも言えない気持ちだ。 #
by kenji-yap
| 2007-03-16 22:42
2007年 03月 14日
昨日の13人、41人には、僕の両親が含まれている。
協力隊に受かった、パプアニューギニアだ、辞退することになった、また受ける、健康診断で落ちた、また受ける、今度は受かった、ミクロネシアだ。 僕が「協力隊」という言葉を両親に告げてからもう5年。ほんとにいろいろ心配をかけてしまったなぁと思う。 2年間、父のメールや母の手紙には、いつも「周りの人に感謝しなさい」と書いてあった。そんなの言われなくたって・・・と思うけれど、機会あるごとにそれを口癖のように繰り返していた両親のおかげで、ヤップでいろんな人への「ありがとう」を忘れずに過ごしていけたのではないかと思う。その意味で、僕が本当に感謝すべきは両親だ。僕が2年間、大きな病気どころか風邪ひとつ引かずに過ごせたのも、両親が丈夫に生んでくれたおかげ・・・ってそれは話がさかのぼり過ぎ? 感謝、といえば、先週から今週にかけて、続々と隊員仲間が日本語クラスにゲスト出演してくれた。持ち技を披露してくれたり、一緒にゲームに参加してくれたりと、子どもたちにとてもいい時間をくれた。最後にまたゲストの威力を思い知らされた感じだ。ありがとう。 ***** 明日がヤップで過ごす最後の一日。 最後の日まで授業をするぞ!と意気込んだ結果、授業準備と荷作りと掃除と挨拶を同時進行ですることになり、明らかに自分で自分の首を絞めている気がするが、それもまたいいと思う。 ヤップ最後の日は、やっぱり生徒たちの顔を見て過ごしたい。 #
by kenji-yap
| 2007-03-14 19:57
2007年 03月 13日
13人。
僕がヤップにいる間に、日本から遊びに来てくれた友人の数。 協力隊員が派遣されている国の中では比較的日本と近い、ということももちろんあるけれど、それでも日本を出る時には、こんなにたくさんの友人が訪ねてきてくれるとは思わなかった。僕はもともと友達が少ないうえに、日本で仕事をしていた時には忙しさにかまけて昔の友人と連絡をあまり取っていなかった。だから連絡のつく友人はますます減り、協力隊に参加するときになって「あー、もっと連絡ちゃんと取っとけばよかったなぁ」と思ったりしていたのだが、それでも高校や大学の友人、日本語教師の養成学校時代の友人、ボランティア仲間など、いろんな人が訪ねてきてくれて、本当に嬉しかった。このブログに何度も書いたけれど、日本から来てくれた彼らが初めてヤップを見て口にする言葉、見せる表情、それらは僕を初心に返してくれて、明日への活力をくれる、とても貴重なものだった。 そしてこの13人には、僕の教え子も含まれている。去年の8月に来てくれた教え子は、僕が最後に担任していた生徒で、たった一人で飛行機を乗り継いでやってきてくれた。僕が逆の立場だったら、行ってみようかとさえ思わないだろう。いい教え子に恵まれたなぁ。遅刻ばっかりしてて保護者を呼び出したことも、今となってはいい思い出…(笑)。 実は、友達の少ない僕の数少ない幼なじみが2人いるのだが、2人もヤップに行きたいとずっと言ってくれていた。結局それは叶わなかったけれど、帰国して2年ぶりに会うのが楽しみだ。 この2人のほかにも、日本から近況報告メールや応援の手紙をくれた人たちがいる。一人ひとりにお礼のメールや手紙を出すべきだけど、このブログでもお礼を言わせてほしい。 41人。 ヤップ高校日本語クラスに、ゲストとして来てくれた方の数。 夏休みを除いて平均すれば、1ヶ月に2人はゲストを迎えられた計算になる。上に書いた僕の友人たちだけでなく、隊員仲間やその友人知人、JICA関係者、観光客などなど、老若男女幅広く、いろんなタイプの(?)日本人を迎えることができた。特に隊員の間では、「日本から友人が来たら、ヤップ高校日本語クラスにゲスト出演させねばならない」というのが暗黙の掟になっており(というか僕がそう仕向けたんだけど)、それが41人という数字につながったのだと思う。これまた有難い。 41人のゲスト。僕の生徒たちにとって、かけがえのない経験になったことだろう。初めて会った人に習った日本語で話しかけ、それが通じた時の喜び。それは学習の動機づけ以上の何か、人が人とコミュニケーションを取ろうとする理由の根本に触れるような、そんな感じがする。 そして、直接ヤップに来てくれたわけではないけれど、ヤップ高校生の日本語熱に貢献してくれた人たちがいる。 大阪のK高校の人たち。 僕の現職参加元であるK高校の生徒たちは、僕がヤップに来てからずっとヤップ高校生と文通をしてくれた。手紙に年賀状に学校紹介ビデオにと、ヤップ高校生に「生きた日本語」を送り続けてくれた。こちらからも月1回の「ヤップ通信」をはじめ、手紙、クリスマスカード、ヤップ紹介DVDなど、いろんなものを送った。 交流を担当してくださった先生や、学校の近況をこまめに教えてくださる先生、毎月のヤップ通信を全校に印刷配布してくださった先生など、教職員の強力なサポートがあって、こうして「現職参加隊員」としての活動ができたのだと思う。 こうして書いていると、この2年間どれだけの人に支えられて過ごしてきたかがよく分かる。改めて、感謝。 #
by kenji-yap
| 2007-03-13 21:15
2007年 03月 12日
同期。
訓練所から世界中に散らばっていった同期隊員たち。ふとしたメールや手紙のやりとりに、随分励まされた。同じ地域でも全く違う日々を送っている人、同じ職種でも全く別の悩みや喜びを感じている人、やっぱり世界は広いなぁと思った。逆に3ヶ月目、半年目、1年目など、それぞれの時期で抱える問題はけっこう似ていたりもした。 特につながりが大きかったのは、語学クラスが同じだった同期と、やはりミクロネシア派遣の同期。 語学クラスの同期(6人)の中では、僕だけが一足先に帰国するんだけど、夏に日本で再会することがもう決まっている。 ミクロネシア派遣の同期(8人)は、みんなほんとにおかしい…いや面白い人ばかりで、半年に一度、首都に上がってみんなに会うのが毎回楽しみだった。いつもこの人が中心、みたいな人がいないのに、何となくちゃんとまとまっていて、居心地の良い8人だった。同じヤップ派遣だった同期は何と誕生日まで同じで、2年間ほんとにいろんなことを話して、いろんなとこに行ったなぁと思う。 日本語教師。 同期には僕を含め4人(各州に一人ずつ)日本語教師がいたんだけど、どの人もちょっとめんどくさがりで(あれっ?間違ってる?)、そんな僕らを強力にサポートしてくれる先輩隊員や後輩隊員に恵まれ、いろんな教材を作ったり、授業のアイデアを交換したりと、日々の授業以外の活動もとても充実していた。ひとりよがりになりがちな日本語教師の授業に、客観性を与えてくれた同職種の隊員たちの存在は、本当に有難かった。 ヤップ隊員。 ヤップ生活で、一番交流のあった日本人たち(当たり前か)。こないだも書いたように、これまた本当にいいメンバーだった。特に今のメンバーは、職種がみんな違うっていうのもあるけれど、一人ひとりが専門性を持って自立していて、でもいざという時にはちゃんと集まれる、みたいな。先輩後輩関係なく、誰と話していても「へぇ~すごい!」と思うことが多かった。2年目からはフィールド調整員という、僕たちのまとめ役(?)みたいな人がヤップに着任したんだけど、その人もまた面白い人で、行動力があるわりにその行動にいつもちゃんと「オチ」がついていて、目が離せない人だった。(心配してたわけじゃないです。いつも頼りにしてました。) 日本では絶対にできない経験を共有した隊員たち。帰国後、日本で会ったらきっとまた違う印象なんだろうなぁ。 #
by kenji-yap
| 2007-03-12 19:05
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